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トーマス・J・ワトソン
Thomas Watson

世界一偉大な発明家でありセールスマン。元IBM社長

世界最大手のIT企業であるIBM(インターナショナル・ビジネス・マシーンズ)社の初代社長。1914年から1956年までIBMのトップとして同社を世界的大企業に育て上げる。IBM独自の経営スタイルと企業文化を生み出し、パンチカードを使ったタビュレーティングマシンを主力として、非常に効率的な販売組織へと成長させた。「世界一偉大なセールスマン」と賞賛される。

所属企業名

IBM社
The International Business Machines Corporation

IT業界の最大手企業

BtoB分野では世界最大のIT企業。民間法人や公的機関を対象としてコンピュータ関連のサービスおよびコンサルティングの提供と、ソフトウェア、ハードウェアの開発・製造・販売・保守、およびそれらに伴うファイナンシングを提供。

トーマス・J・ワトソンの記事トーマス・J・ワトソンの説明

エルマイラの Miller School of Commerce で1年間、経理とビジネスのコースしゅt。1891年にその学校を退学すると、ペインテドポストの商店 Clarence Risley's Market で簿記係として週6ドルで働くようになった。1年後、近所の金物屋 (William Bronsons) の作ったオルガンとピアノを行商していたジョージ・コーンウェルについて行商するようになる。これがワトソンのセールスマンとしての原点である。コーンウェルがこの地を去ると、ワトソンは1人で行商するようになり、週に10ドルを得るようになった。その2年後、委託契約なら週に70ドル稼げることに気づく。この発見の衝撃は大きく、行商を辞めて近くの大都市バッファローに出ることを決意したほどだった。

次の仕事は、評判の悪い興行師 C.B. Barron が創業した Buffalo Building and Loan Company の株を行商する仕事だった。生涯メソジストだったワトソンは、その仕事に就いたことを後悔した。Barron は集めた資金を持って失踪した。その次はバッファローで精肉店を開業したが、すぐに失敗し、ワトソンは金も職もない状況となった。

数年後、ニューヨーク州ロチェスターの苦戦しているNCR代理店を任された。エージェントとして35%のコミッションを得るようになり、NCRのナンバーツーだったヒュー・チャルマーズに直接報告するようになった。主要な競合相手だった Hallwood を叩くため、時々 Hallwood 製の機械を使っている店にいって破壊工作するなどの手を使い、4年でロチェスターでのNCRの独占を築いた。その手腕を買われ、オハイオ州デイトンのNCR本社に配属となる。

1914年5月1日、コンピューティング・タビュレーティング・レコーディング・コーポレーション (Computing Tabulating Recording Corporation, CTR) の事業部長に就任。CTR社はハーマン・ホレリスのタビュレーティング・マシーンズ社などが母体となった企業で、当時1300人の従業員がいて、年間900万ドルの売り上げだった。翌年には社長に選ばれている。1924年、社名を International Business Machines (IBM) に改称。ワトソンはこの会社を強力に育て上げ、1952年には連邦政府から独占禁止法違反で訴えられるまでになった。当時、IBMは全米のタビュレーティングマシンの90%を所有して顧客にリースしていた。1956年に死去したとき、IBMの売り上げは年間8億9700万ドル、従業員数は72,500人にまで成長していた。

ワトソンは、自身の職務の最重要部分は販売部門の動機付けと心得ていた。セールスマン養成学校のIBMスクールを設立し、NCRの販売手法(ノルマ制、歩合制など)など彼の販売理論を教え込んだ。社では彼への個人崇拝が広まり、全社に彼の写真や「THINK」のモットーが掲げられた。社歌ではワトソンへの賛美が歌われた。

1929年の世界恐慌に際しても、ワトソンが導入した賃貸制(機械を顧客に販売するのではなくリースして賃料を得る)により、IBMは新たな販売が滞っても既にリースしている多くの顧客から安定した収入が得られるため、不況にも影響を受けにくい体質ができていた。また、IBMの安定経営を支えるものとしてパンチカード自体の販売がある。顧客は機械が紙詰まりを起こさないようにするためにIBM製のカードを購入しなければならない。これは、カメラも販売するフイルム会社や電気かみそりと替え刃を販売する会社などと同じ発想である。ワトソンは新規販売が激減しても強気で工場をフル稼働させ、大量の在庫を抱えた。しかし、フランクリン・ルーズベルトが大統領となりニューディール政策が実施されるにあたって、全国の労働者の雇用記録を整理する必要が生じ、そこにIBMの在庫が大量に導入されたのである。

生涯にわたって、ワトソンは外交面でも事業面でも国際関係に深い興味を持っていた。フランクリン・ルーズベルトのニューヨークにおける非公式な大使として知られ、海外からの政治家をしばしば接待した。1937年、国際商業会議所 (ICC) の代表に選ばれ、同年ベルリンで開催された隔年会合で "World Peace Through World Trade"(国際貿易を通じた世界平和)と題した基調講演を行った。このフレーズはICCとIBMのスローガンとなった。

出典 : Wikipediaより一部抜粋
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